連盟概要

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1.日本クラブユースサッカー連盟発足から財団法人化まで
日本クラブユースサッカー連盟は、1978年の発足(全国サッカークラブユース連合として主に高校生年代のクラブチームを中心に発足)以来、クラブチームの競技力向上と地域に根ざしたクラブの普及・発展を目的に活動を続けてまいりました。1982年には加盟クラブの頂点を決める「全国クラブユース選手権大会(現、日本クラブユースサッカー選手権大会)」を日本サッカー協会後援として開催し、1985年には中学生年代のクラブチームを対象とした「日本クラブジュニアユースサッカー連盟」が発足しました。

 1993年に開幕したJリーグが地域で活動するクラブに与えた影響は大きく、この年を境に地域サッカークラブは全国で急激に波及していきました。そして、1997年にはユース、ジュニアユースの各連盟が、中・高校生年代の相互関係をより強固なものとし6年間の一貫指導体制を確立することを目的に統合し、「日本クラブユースサッカー連盟」となり、さらに2011年4月1日には「一般財団法人日本クラブユースサッカー連盟」として、新たなスタートを切ることとなりました。

2.東北クラブユースサッカー連盟発足までの活動とそれ以降の発展
東北クラブユースサッカー連盟発足を前にして、1988年(昭和63年)の第3回日本クラブユースサッカー選手権大会の東北予選大会が初めて宮城県石巻市にて実施されました。
岩手県から盛岡ウイングス、宮城県から塩釜FC、秋田県から横手FCの3チームが参加し初の全国大会出場は盛岡ウイングスという記録が残っております。
翌年には、塩釜FCジュニアユースと岩手県のリアスジュニアサッカークラブが全国大会出場を果たし、その後、岩手県の見前FCや宮城県の槻木FCなどが全国大会へ出場していきました。

 連盟としての組織が確立したのが1994年(平成6年)の第1回の総会からで、その時の参加クラブ数は、青森県2・秋田県1・岩手県4・山形県1・福島県1・宮城県7の合計16団体からのスタートでありました。
翌1995年(平成7年)の第2回総会からの議事録からして、この年の登録クラブは、青森県1・秋田県1・岩手県5・山形県1・福島県2・宮城県9の合計19クラブとなり、連盟の規約も整備されて、組織化も進んできたことがうかがえます。ちなみに、当時の決算書を見ると、現在の約10分の1の90万円ほどのものでありました。

1996年(平成8年)の登録名簿には、青森県1・秋田県3・岩手県5・山形県4・福島県3・宮城県11の合27クラブと約1.4倍になり、ここから東北各地域で中体連ではないクラブユース連盟所属の『クラブ』が多くなってまいりました。
その後、順調にクラブユース連盟に所属するクラブが増え、2013年2月24日の総会に参加したクラブはU-15が86クラブとU-18が12クラブの合計98クラブとなり100の大台が目前です。